むきむき

僕はリア充を呪うようなことをしたことがない。

 

 

リア充はその礼を、社会的な利益として僕にくれる。僕はそれを享受している。さあ。

 

 

 

でもリア充を呪っていた人も同じだけの社会的な利益を享受している。

 

 

 

リア充は非リア充のために社会に利益を与えているわけじゃあない。享受される側はみんなせいぜい等質だろう。

 

 

 

私はリア充の恩恵だと、社会利益の享受に意味を見出している。理屈にかなっているかは問題にしていない。

 

 

 

ありがたいとは思わないだろうか。いや、思っても思わなくても変わらん。

 

 

 

雨が降ることをどう捉えるか。第一段階として快、不快のいずれかで捉える。享受か否か。

 

 

 

雨が享受とみなされたなら、祀る。

 

 

 

しかし祀らなくても雨は降る。

 

 

 

必要がなくてもそこに与えるものとして存在して、しかしなんらかの畏敬を受けているものはそこそこある。社会というのはどっちだろう。不断の努力のもとになければ瓦解しそうなものだが。

 

 

 

反社会勢力って言い方は独「善」的だ。我々からみた、クロンボみたいなものだろう。

 

 

 

あいつらはあいつらの社会を作ろうとしているんだ。

 

 

あいつらも俺らを呪っているだけなら地球市民たる利益を少しは享受できたろうに。

 

 

俺はリア充に嫌われないように惨めに生きています。